「講談 伝承の会」開催されました。(東京都)

「日本の究極話芸・講談。その芸は伝承されていく。

東西若手・中堅が一堂に、自己研鑽の成果ここに」

文化庁 令和5年度 国宝重要文化財等 保存整備費補助事業として行われている「講談 伝承の会」が今年も3月上旬、東京江東区で3日間に渡って行われました。

今年の参加者は、受講生の東西の若手・中堅の講談師30名と講師である講談師9名の合計39名。一年間の稽古を経て、その成果を観客の前でという発表会形式の公演です。

演芸評論家の長井好弘氏によれば、亡くなった人間国宝の一龍斎貞水が、人間国宝への200万円の助成金で「若いヤツらのために何かしてやれねえか」と考え出したものだそうです。

もうすでに10年を超え、今年の出演者は受講生である若手中堅だけで30名、1人30分なので、朝10時半から夜6時半まで、途中休憩を挟むものの1日8時間の公演時間となります。3日間とも見る人が多いということでしょうか、今年は少し割引の3日通し券も発売され、購入者には、フェスのような腕輪が渡されました。

いつもは、なんらかの用事があり、途中抜けることもあったのですが、なんと今年は何もなく3日間全て見ることが出来ました。

講談には、流派があり同じ演目でも流派によって読み方が違ったりもするそうです。

講談師の方々は、例えば違う一門の方に習いに行き、その違いを勉強するとのことでした。

見ている方にとっては、やはりいつも見るのはだいたい同じ人に偏りますから、この会でああこういう話もあるのだな、こういう講談師もいるのだなと認識を新たにすることが出来ます。

なんと言っても教えてもらった方たちだけで30名、初めて見る人にも出会える会でもあります。

詳しい内容については、客席で熱心にメモを取っている方も大勢いらしたので、多分その方々がどこかで紹介していると思いますので私はここでは書きませんが、とにかく東京、大阪東西の講談をボンヤリと聞いているだけでも楽しいと思います。その中で、あっこの人好き、この話面白いというものを見つけることが出来ると思います。

ただ注意してほしいのは、講談協会会長の宝井琴調氏曰く、「まだ習ったばかり、これから練り上げてお客様に聞いていただけるものにする、あくまでも発表会なんです」ということ、この伝承の会で聞いた、見た全てが講談と思ってはいけない、観客にとってもこれからどれを、誰を聞こうかという入門の場と言えるのではないでしょうか。

来年のことを言うと鬼が笑う、と言いますが、来年の開催も決まってはいるようです。

是非、チェックしておいて、少しでも興味があったら、見に行ってみてくださいね。

MOKO/もこ

「かわごえ 花手水ビンゴスタンプラリー2024」開催(埼玉県)

埼玉県川越市で、スタンプを集めてビンゴに挑戦、スタンプを一定数集めるとプレゼントがもらえる「かわごえ 花手水(はなちょうず)ビンゴスタンプラリー2024」が始まります。

◆ 開催期間:2024年(令和6年)3月2日(土) ~ 31日(日)

◆ 開催場所:川越市内商店街ほか(埼玉県川越市)

◆ 問合せ:(株)まちづくり川越(川越市受託事業者)

まずは観光案内所などで台紙を手に入れ、その台紙を片手に川越を歩き回りましょう。

このスタンプラリーは、川越の花手水を楽しみながら、スタンプを集めて歩く川越スタンプラリーです。

台紙を手に入れたら、地図とビンゴのマスを見て行き先を決めましょう。

そして花手水を目印にスタンプをゲット。

なかには、目印が見つけられないで苦労するものもありますが、それも一興。

はっきり言って台紙の地図は見難いですが、そこはカンを働かせて。

勿論、同時にそれぞれの花手水と周りの景色も楽しんでくださいね。

以上

「茨城県日立市に行ってきました」

今週のある朝テレビを見ていたら、日立市から生中継をしていました。日立市で発見された寒桜、その名も「日立紅寒桜」(ひたちべにかんざくら)が、今週末見頃だというのです。しかもその色は、淡紫ピンク色とのこと。とても気になり早速日立市に連絡をとってもらいました。なんと日立市には、さくら課があるのですね。これだけでも日立市の桜への思い入れを感じます。

でも週末の天気は、曇りかも。しかも連休です。

そこで急遽、2月22日に行ってきました。

この日も朝から小雨、でもなんとか晴れるかなと思っていたのですが、、、。

私がその桜を見に行ったのは、日立駅から車で20分ほどのかみね公園、そこに作曲家の吉田正音楽記念館があり、その5階が、展望カフェになっているのです。

目の前には太平洋が広がり、海と山に挟まれた日立市の地形を実感することが出来ました。

ここで、この日立紅寒桜を発見した長島正吉さんにお話を伺いました。

当時長島さんは通勤で毎日常磐線の小木津駅を通っていました。1月の中頃から咲く桜の花を毎日見ていたのです。この桜は何かが違う、長島さんは思っていたのですが、なにしろ線路のすぐそばのため、何もすることが出来ませんでした。ところがある時、駅に跨線橋がかけられることになります。ようやく桜に近づくことが出来ました。そこで、この桜の木を詳しく調べてもらったところ、寒桜ではあるが、他の土地には無い、日立市特有の桜であることがわかったのです。

そして市民の公募で「日立紅寒桜」と名付けられ、2006年(平成18年)農林水産省に品種登録されました。

その後日立市内の各所に植えられた日立紅寒桜は、長い期間市民の目を楽しませてくれます。

もちろん展望カフェからも、公園内の日立紅寒桜を楽しむことが出来ます。

でも、実は長島さんが一番のお勧めは、日立駅前からの大通り・平和通りから少し入った所にある日立紅寒桜とのことでした。今回は、もう見頃を過ぎていたのですが、その形の良さは健在。来年の見頃の季節に訪れたいと思いました。

日立紅寒桜の後も、日立市ではやはり固有の桜・「おぎつやよい」「ひたち雅」そしてソメイヨシノやヤマザクラも楽しむことが出来ます。

4月1日(月)から14日(日)までは、さくらまつり開催期間として、平和通り、かみね公園、十王パノラマ公園で桜を楽しむことができ、特に6日(土)、7日(日)には、イベントも開催されます。

当日の天気が心配という方は、市役所のホームページに「お天気相談所」が日立市独自の天気予報を発表していますのでご確認ください。

実はこのお天気相談所は、地方自治体が運営している、日本でただ1つの気象機関なのです。毎日3人の気象予報士の資格を持つ市の職員が日立市の空を確認し、天気予報などを発表しています。

以上

2024年2月24日

「春の江戸時代料理再現食事会」開催(長野県)

令和6年春の食事会は、弘化5年正月料理の再現です。

田中本家の古文書から再現した接待料理を、当時の器でいただける食事会です。

◆ 開催日:2024年(令和6年)3月10日、13日、14日、17日、21日、22日、24日、29日(満席などの日もありますので、ご了承ください)

◆ 開催場所:田中本家博物館(長野県須坂市)

◆ 問合せ:豪商な館 田中本家博物館

普段は非公開の11代当主母屋の、庭の見えるお座敷で弘化5年(1848)1月に、家老や近くの方々が正月の挨拶に来られた時に出された料理を再現します。

古文書に記載されていた料理は、鰤や鮃の刺身、海鹿白和え、阿佐波煮付、数の子、鮫切身、焼麩、巻鶏卵、牡蠣の剥き身、葱刺身など。これだけでは、どんな料理なのか興味ありますね。しかも器は、田中家が所蔵している陶磁器や漆器です。お座敷ですが、椅子席でいただけます。

当主の挨拶から始まり、食事と器の説明、そして館内の案内など、田中本家博物館の建物と庭を堪能出来る1日です。

博物館内では、4月15日まで、大正時代のひな祭りとして、当時のお雛様と芝居人形など約100点が展示されています。

【資料提供:一般社団法人 長野県観光機構 銀座NAGANO 観光情報センター】

MOKO/もこが気になる「みえの餅街道」

先日紹介した三重テラスで行われている「みえの餅街道 in 東京」に行ってきました。

きっかけは単純に、甘いものが好き、だったのですが、「みえの餅街道」は、とても奥が深いものでした。

そもそも餅は、日本古来の伝統的な食品、というだけではないのですね。

餅を食べるのは、正月や様々な年中行事の時でした。つまり特別な時、ハレの日の食べ物なのです。餅を作るには大変な手間がかかります。今は、餅を家で作る方は少ないかと思いますが、以前は各家庭で、あるいは町や村での手作りがほとんどでした。手間がかかるから、特別な時しか食べることが出来なかったのでしょうね。

そんなことから三重の先人たちは、日本全国から伊勢神宮へお参りに来る人々に、餅でおもてなしをしたのです。長い道のりを歩いて来た人たちは、このおもてなしに、もうすぐ伊勢神宮だと思い嬉しかったでしようね。

そして餅は、コンパクトに栄養補給をしやすい食品でもあります。

精神的な面でも、肉体的な面でも、両方の意味で、餅は伊勢参りの方達を応援する食べ物だったのです。

正月の餅の形や味が、地方によって丸や四角があったり、醤油味や味噌味があるように、三重でもその土地ならではの餅があったのだと思います。それぞれの土地の餅でのおもてなしが、今のみえの餅街道のそれぞれの餅になっているのだと思います。

みえの餅街道、その感覚は以前からあったものの、実はこの言葉は昭和の時代には無かったようです。そう呼ばれるようになったのはまだこの20年ほどのことだとか、とは言いながらも、パンフレットやチラシに載っている約20店のほとんどはそのルーツを江戸時代まで遡ることが出来るとのことでした。

今回の「みえの餅街道 in 東京」のチラシに紹介されているのは、北は伊勢街道の出発点桑名の「安永餅」から、伊勢の店、そして南は志摩の「さわ餅」まで15店、それぞれ形も特徴、作り方も様々です。

私も、その中から伊勢の、伊勢といえばという冠がつく「赤福餅」と太閤秀吉の出世にあやかる縁起餅「太閤出世餅」の2種類をいただきました。

方や柔らかいお餅と上品な餡の組み合わせ、そしてもう一方は豊臣秀吉が好んで食べたと言われる焼餅で、小豆ともち米の旨味を引き出しているとチラシにありますが、まさにその通り、甘さの感じも、餅の食感も違うのです。

同じ伊勢でも、これだけ違う餅街道のお餅、機会があったら東京から歩いて行き、伊勢街道を神宮に向かいながら、一つずつ食べてみたいと思いました。

それにしても今回、三重の餅が単なるスィーツの餅ではなく、伊勢神宮があったから、そして伊勢参りという文化があったから発展したという事を知り、奥が深いと実感しました。

日本の各地にあるスィーツの街道、その中でMOKO/もこは今「みえの餅街道」が一番気になっています。

なお、今回の「みえの餅街道 in 東京」では、Mie Mu (三重県総合博物館)の学芸員・宇河雅之氏によるトークショーが行われ、宇河氏に色々なことを教えていただきました。

以上